地元台東区の浅草演芸ホールが緊急事態宣言後も営業を継続することを表明していました。
しかしその後営業自粛要請どおり営業休止ということになり、現在通常営業はしていません。
当初営業継続を決めた際の理由として営業自粛の要請に対する例外条項にあたる「社会生活の維持に必要なものを除く」に該当するということを理由としてあげていました。
今回この話題を取り上げようと思ったのは、まんえん防止等重点措置の適用や緊急事態宣言下で営業を継続することが良いか悪いかというよりも、浅草演芸ホール側の考えの背景に「人はパンのみにて生くるものにあらず」という考えがあり、それが自粛反対論者の大きな根拠にもなっていて、補償問題を抜きにしても一度考えておく必要があるのではないかと思ったからです。
衣・食・住以外にも人間の生活に必要なものはあるという考えには共感できます。
ただし緊急事態下では優先順位も考えざるを得ません。
この優先順位は法令の解釈適用にも影響してくると考えます。
法令を適用するには事実に対する評価が必要になります。
この評価が説得力を持つかどうかは最終的に用いられる経験則がどれだけ受け入れられやすいかによります。
笑いの提供が社会生活の維持に必要だというのは一般論としては受け入れられても緊急事態下では共感できる経験則になっているとまでは言いにくい気がします。
こうなると社会生活の維持に必要ということを営業継続の理由とするのは無理があったと言えるのではないかと思います。
同じような理由で自粛反対派の人達の主張にも違和感を感じてしまいます。
結論としては緊急事態下では自粛せざるを得ないだろうと考えているのですが、その反面それ以外の選択をする人の考えも尊重したいという気持ちも出てきます。
根拠として挙げるのであれば、笑いの提供も表現の一種であり、表現の自由の保障を充実させるためには、表現のための場所は原則として使用を許されなければならないといういわゆるパブリック・フォーラム論的な根拠の方が説得力を持つ気がします。
ただし浅草演芸ホールは公共施設ではなく私人の経営する施設ですのでパブリック・フォーラム論がそのままあてはまるわけではありません。
理屈をこねると「毎度バカバカしいお笑い」もバカバカしくはなくなりますが、そのうえでどこまでバカバカしくできるかが芸の見せ所になる気がします。
どのように立論するにしても落語が歴史的にも政治批判というジャーナリズムの役割を果たしていたことを考慮すると、今回の政治的な判断に対抗して営業継続を宣言した意味はあったのではないかと思います。
笑いについて笑えない話を持ち出してしまって恐縮ですが、緊張状態の高い今こそ暗いムードを払拭し、免疫力を上げて病気をはねのける力を笑いに期待したいと思います。