昨日は、他の裁判の結果も含めてトータルで見てみると株主代表訴訟の判決が受け入れ難い部分があるということを書きました。

前回も書きましたが、これまでの福島の原発事故の裁判で裁判所が変わった解釈論を展開し判決を出したと思えるものがあるわけではありません。

翻って考えてみると、株主代表訴訟自体の問題というよりも、原発事故に関する他の裁判への疑問が原因になっている気もします。

様々な裁判が行われた中で、こういう解釈論を取るべきだと言っても、一般の方はあまりピンとこないかもしれません。

そこで、今回は原発事故の裁判を巡る各関係者の利害状況を中心に書いてみたいと思います。

まず原発施設や各関係者の立場を分析し、それぞれの責任について考えてみたいと思います。

原子力発電施設について

まず原子力発電ですが、技術的には他の発電方法でも日本の電力を賄える状況にあると思います。

既に原子力発電所がありそれに頼っているため、稼働させなければ供給が追いつかないという状況で、原発による発電を他の発電方法に変えると供給できなくなるということではなさそうだということです。

言い方を換えると、他の発電方法ではなく、原子力発電にこだわっている層が、この国にいるということが伺えます。

原子力関係の技術を高めたいという考えを持っている層が存在するのだと思います。

原子力発電にこだわる理由のうちの1つは、原子力発電を日本の輸出技術の1つにしたいという経済的な理由が考えられます。

別の理由として、安価な電力供給のためという理由が考えられます。

しかし今回のような事故を含めたコストを考えると、決して原発が低コストな技術とは言えないということがおわかりいただけると思います。

アメリカ(U.S.A)で原子力発電が減っている理由でもあります。

最後に核転用が可能だという理由が挙げられます。

急に核兵器を開発しようとしても、直ぐにできるわけではないので、原子力発電技術として周辺技術のノウハウを貯めておくという考えです。

戦力の不保持や非核三原則を建前とする日本では、表立って核兵器を開発するわけには行きません。

実際のところはわかりませんが、このような意図があったとしても表に出てくることはないでしょう。

このような理由から原子力発電が選択されていることが考えられます。

各関係者の立場

原子力発電施設を巡る各関係者の立場を確認しておきたいと思います。

まず当事者の東京電力ですが、競争相手が少ない状況で、自ら原子力発電を選択し、利益を上げていたという事実が存在します。

次にです。
原子力施設を規制し監督する立場にあります。

規制権限を行使できるのも、ほぼ国だけと言っても良いでしょう。

経済産業省の担当部署の人員や肩書を考えても、原子力発電に相当深く関わっていると考えざるを得ません。

更に企業です。
企業の立場は各企業により様々ですが、原発関連企業や自らの電力需要のために原発の推進を後押ししていた企業も存在します。

株主代表訴訟は、株主が企業(この場合東京電力)に代わって訴訟を提起する制度なので、賠償金が支払われても、株主に直接お金が支払われるわけではありません。

株主である企業が恩恵を受けると書いたのは、以前の記事も含め、東京電力が損失の埋め合わせを受けることにより株主である企業が間接的に利益を受けることになるという意味で書いています。

最後に福島県の住民です。
自ら原発の受け入れを選択したという意識はないでしょう。

国や企業からの働きかけや原発を受け入れることに対する対価を考え、自治体が受け入れたというのが実際のところだと思います。

各関係者の責任

東京電力
競争相手が少ない状況で、自ら原子力発電を行って利益を上げていた以上責任を負うのは当然です。

旧経営陣についても、津波のデータについて報告を受けていたにも関わらず対策を怠っていたので責任を負わざるをえないでしょう。

ただ、13兆円を超える額を個人責任として負う問題かは意見が分かれると思います。

他の裁判での賠償額が低いだけだという評価もありえます。

旧経営陣から東京電力に賠償金が支払われれば、周辺住民に対する損害賠償の原資にもなります。

その場合には企業が株主として受ける利益は副産物と考えても良いと思います。

更に、もし仮に旧経営陣が支払う賠償について損害賠償保険の適用があることを見込んでの判決なら、この裁判官良い意味で相当エグいです。

ただし、この場合も、金銭的な解決だけで、裁判としては別の裁判になりますが、国の責任を否定して良い事案なのかという疑問は残ります。


エネルギー政策に基づく原子力発電が行われていた以上、自然災害とはいえ、東京電力の責任だけなのかという疑問が残ります。

この件に限らず、国の規制権限の不行使という不作為について違法性が認められることは少ないということは言えます。

企業
一部企業のように原発反対を公言している企業もありますので、立場により様々ですが、原発関連企業や電力供給のために原発の推進を後押ししていた企業に東京電力を非難する資格はないようにも思えます。

東京電力が津波対策を怠っていたことに関しては各企業のスタンスとは別の問題と捉えることも出来ます。

企業であっても、株主であれば正当な利益は保護されなければなりませんので、巨額の賠償が認められ、間接的にでもその恩恵に預かれるとしても、結果的な副産物として捉えることもできます。

福島県の住民
国家賠償が認められず、今回の事故で一番割りを食っているのが、福島県の住民の方だと思います。

しいて、責任を考えるとすれば原発の受け入れを決めた代表者を選挙で選んだということぐらいです。

損害を福島県民の負担を中心に考える理由になるとは思えません。

損害の算定しにくさという技術的な問題や規制権限不行使という不作為に違法性が認められにくいという法的な問題はありますが、国にも一定の責任を認めるべき事案ではないかと思います。

こういうことを書いている私も東京電力の電気を使用していますので、その意味では当事者でもあります。

しかし福島県民は東北電力の管轄内であるにもかかわらず、地元に東京電力の原発施設が存在し、事故が発生したという特殊な状況下にあるということもご理解ください。

まとめ

このように見てくると、さんざん福島県の原発事故の裁判について細かいことを書いてきましたが、最終的には損害賠償という制度は損害の公平な分担のために認められているものなので、今回の事故の損害が公平に分担されているのだろうかという疑問に行き当たるように思います。

国の負担が軽く、福島県民の負担が大き過ぎやしないかということです。

株主代表訴訟で巨額の賠償が認められたため、他の電力会社を含め原子力発電が行われなくなる可能性があると書きましたが、政府は今日、冬の電力不足に備え最大で9基の原発を稼働させる可能性があると発表しました。