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集めるのは餌だけではなかったのか

忍者に関連する興味深い記事を読みました。

江戸時代、鷹狩りに使う鷹の餌を捕まえる餌差(えさし)という職業があったそうです。

姫路藩主の本多忠政の下で、その餌差が忍者と一緒に活動していた可能性があるのだそうです。

本多家の職員録にあたる分限帳に忍者と見られる38人の名前の後に、餌差23人という記述があるのだそうです。

餌差が、「藩主の鷹の餌になる小鳥が入った」と言って、自由に藩邸に出入りしていた可能性があるのです。

現代のイメージで言うと、忍者が他藩との外交関係を含めた諜報部員で、餌差が国内の公安警察みたいな感じでしょうか。

姫路藩以外でも、最近他藩の情報を収集する民間人を装った密偵のような活動をしていた人間の存在が浮かび上がっている藩もあって、江戸時代、各藩が交通手段が制限されたり、メディアが少ない状況の中で情報収集をしていたことが伺われます。

餌差は自然にも詳しいわけですから、交通手段が限られた時代、隣藩に抜けるルート把握や、軍事上の戦略の立案などに情報を活用していた可能性もあります。

日本人にとっては、昔の忍者はできることも限られていただろうし、居たには居たにしても、今ではそれ程興味を引く存在とはなっていないように思います。

これに対し外国人の間では今だに人気があります。

外国人の方が忍者に詳しく、日本人に忍者の質問をして、薄い内容の会話にしかならなくても、忍者のことを日本人に質問するのはタブーで、日本人の方が詳しくなくて生返事しかしなくても、忍者について秘密にしていると勘違いする人もいるようです。

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