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日本語が先か英語が先か

小学校でも英語を学ぶようになったことで、中学校での英語教育にも影響が出ているようです。

中学校の教員に行われたアンケートで、新指導要領に対応した教科書について約70%が「内容が難しくなった」と回答しています。

それに加え「授業しにくくなった」が35%います。

先生の側が難しいと感じているので、当然生徒の側も授業についていけない生徒が増えているようです。

単語数も教員側は、多すぎると感じているようです。

詰め込み教育では実用的な英語が身につきにくいということで、カリキュラムが変わったはずでしたが、結果的に覚える単語が増え、詰め込まなくてはならないという皮肉な結果になっています。

確かに、覚えるなら高校より、中学生の時の方がたくさん記憶はできるはずです。

しかし他科目との兼ね合いや、まだ日本語能力自体が怪しい時期に英単語ばかり覚えさせるのも得策とは思えません。

文法事項が前倒しされ、仮定法や現在完了も学ばなければならなくなっているようです。

バイリンガルのように実用的な会話ができるのは羨ましい気もします。

ただ、外国語として英語を学ぶ良さというものもあります。

日本語が、どのような特徴を持つ言語かがわかるからです。

フェルディナン・ド・ソシュールは、言語を「差異の体系」と表現しています。

確かに、1つの言語の中で、ある単語は他の単語と異なるものとして存在しています。

英語と日本語の間においても、辞書の上で1対1に対応しているように思える単語でも、母語の単語は外国語の単語とは異なる単語として存在しているのです。

このような相対的な視点を獲得して、異なる言語がどうのような構造になっているかという視点から、外国語を学べれば良いのですが、第1言語である日本語の能力を獲得している最中に、このような視点を持つことは非常に難しいことだと思います。

まずは、自由に物事を見ているはずだと感じている自分が、日本語に引きずられて世界を見ていることを意識できるようになることが、上達への道である気がします。

そのためには、消化しやすいカリキュラムの調理法と、単語などの数に驚かない生徒のマインドセットの両方を準備することが必要になりますが、教員の残業時間の多さや、教員志望者の減少など、生徒に外国語を習得させるには、あまりにも教育現場が混迷を深めているのかもしれません。

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