アメリカ(U.S.A)でトランプ大統領の支持者の1人であるチャーリー・カーク氏が銃弾に倒れました。
アリゾナ州で追悼集会が開かれました。
その中で、カーク氏の妻エリカ・カーク氏から犯人を「許す」という言葉が出ました。
「彼らは自分のしていることがわからないのです。私も彼を許します。憎しみに対する答えは決して憎しみではなく、愛なのです。」と言ったのです。
敵対勢力を憎まず、説得を試みることでトランプ氏の支持者を増やしてきたカーク氏を評して、トランプ大統領は、ライバルへの姿勢が自分とは異なると追悼演説の中で述べています。
自分は、カーク氏と異なり、敵は憎み、攻撃するということのようです。
エリカ氏の発言は、キリスト教徒としての宗教的な背景もあってのことだと思いますが、夫が銃撃された直後に、許すという言葉が出てくることには、宗教の危うさだけでなく、宗教の可能性も感じざるを得ません。
敵対勢力に対するスタンスが異なるカーク氏がトランプ大統領を支持し、カーク氏の活動が、結局トランプ大統領の支持者獲得につながって行ったことに、アメリカの危うさも感じます。
トランプ氏を大統領に再選してしまう薄っぺらさと、銃撃犯すら許すという精神性の、どちらもが現在のアメリカなのかもしれません。
トランプ氏とは異なり、敵対勢力にも比較的寛容であったカーク氏が、宗教的な理由もあり、トランスジェンダーには不寛容であったことが銃撃につながってしまったようです。
政治的中立性や、異なる信仰の共存のために政教分離を定めてみても、現実の人間のエゴによって、宗教の可能性が活かされるのではなく、社会の分断へとつながってしまうようです。