最近、このブログで「解任後のフォローも必要では」という記事を書きました。
その中で、オリンピック開会式のディレクターを小林氏が解任されるのはやむを得ないけれども、時間が経ったら名誉回復的な措置があっても良いのではないかということを書きました。
この記事を書いた時、私は問題となっているコントでどのような会話がなされていたのかは知っていましたが、オリジナルのコント自体は確認していませんでした。
その後、オリジナルのコントを見る機会があり、セリフだけでなくコントの設定もわかりました。
そして内容確認後は本当に解任しなければならないような内容だろうかという疑問がわき、小林氏のフォローについても他人に期待するのではなく、自分で行動を起こすべきではないかと考えるようになり、この記事を書いています。
まず、はじめにご理解いただきたいのは以前の記事で私はラーメンズが好きなコンビのうちの1つだったことを書きましたが、決して贔屓の芸人だったからこの記事でフォローしようというわけではないということです。
コントの内容について誤解があり、存在しない事実について怒りや批判が向けられているように見えるのです。
コントの内容をご理解いただければ、現在の批判が的はずれだと感じていただけるのではないかと思っていますが、実際の内容を理解してもらえば、苦情を申し入れた人権団体やユダヤ系の人達と一緒に楽しめるコントだとは思っていません。
ただ芸人を引退後に就いたイベントのディレクター職を解任されなければならないような内容かどうかについては疑問を持っています。
コントの内容について詳しく解説するという行為は愚の骨頂ですが、事実関係をお伝えするために、コントの内容について解説します。
(コント自体の動画については著作権についての問題をクリアしているかが不明なためリンクは貼らないことにします)
コントを理解するための前提
問題とされたコントはテレビで放送されていたNHKの子供番組「できるかな」を知っていることを前提とした内容になっています。
「できるかな」がどういう番組だったかというと、ノッポさんとゴン太くんが登場し、身近なものを使って工作の楽しさを伝えるという子供向けの工作番組です。
この2人は番組の中で喋りませんが、身振り手振りで気持ちを表現し、それをナレーションの声優「(故)つかせ のりこ」さんが2人の言いたいことを言葉にして、自らも2人に問いかけるという形式で番組が進行していくというものです。
私の世代の子供には大変人気のあった番組で、ノッポさんは、私よりも下の世代の人達にとっては同じNHKの子供向け番組「つくってあそぼ」の「ワクワクさん」的な存在と言えます。
そのため、本来の「できるかな」は今回問題になっているコントとは真逆の、苦情の付けようのない、子供に人気のNHKを代表する番組だったということです。
この番組について知っていることを前提にコントは作られています。
問題のコントの内容
本来喋らないはずのノッポさんが次の番組で披露する工作についてアイデアを練る番組の裏側を見せるという手法でコントは展開します。
しかし、そのアイデアの内容も、喋っている内容も(そもそもオリジナル番組内でノッポさんは喋りませんが)、本来のノッポさんが言いそうにないような内容を喋らせることで笑いを誘おうとするコントです。
アイデアを練る中で番組のプロデューサーから「作って楽しいものもいいけど、遊んで学べるものも作れ」と言われたことを思い出したことをきっかけに、野球についての工作を思いつきます。
そして今までだったら新聞紙を丸めてバットを作ったり、紙を丸めて球を作ったりするだけだったけれども、それぞれに「バット」、「球」と作った物に文字を書くということを思いつきます。
文字を覚えられる工作というアイデアです。
観客は人の形に切った紙でいいからそれに「人」と書き、文字で構成された野球場を作るのはどうだろうと提案します。
それを聞いた相談相手が、ちょうど人の形に切った紙がいっぱいあるからと言ってその紙を持ってくることになります。(実際にはそこに存在せずに、そこにあるテイです)
たくさん作ってあった人の形の紙を見たノッポさん役が「ユダヤ人大量惨殺ごっこをやろうとした時のやつな」と言ったのが問題のセリフです。
このセリフに、これをやろうとした時はプロデューサーが怒ってたなー「放送できるかっ」てなーというセリフが続きます。(勿論、疑問ではなく、放送できないの意味です)
つまり子供番組の中のノッポさんが出さなそうなアイデアを出したかのような設定で、子供が喜ぶ世界観を提供するはずの番組の、実際には存在しなかった裏側として、本来存在する番組内容とは対極にあるホロコーストを、放送できない内容のものとして取り上げているのです。
コントに対する評価
確かに放送できない内容としてだったとしてもホロコーストごっこを持ち出すのは適切とは思えません。
ただ、外国の人権団体が内容を正確に把握して苦情申し入れしているとは考えにくいのです。
「良くないネタ」として捉えられたり、人権団体が「ネタにするのは不適切だ」と思うと外部に表明するというのならわかります。
この意味での苦情申し入れだったのか、解任しろと言うことだったのかは、はっきりさせるべきではないでしょうか。
日本人の中にも、同様の誤解に基づき、この表現を批判する際に、ホロコーストの否定(存在しなかったという意味)は海外では犯罪になるというコメントをする人がいますが、コントの中のセリフの意味がわかれば、否定では無いことはご理解いただけると思います。
これとは別に、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は、これがLet’s Play Holocaust.(レッツ・プレイ・ホロコースト)の意味で人権団体に伝わってしまっているとコメントしています。
刺激を求めてホロコースト遊びをしようと言っているかのように捉えられているということです。
小林氏自身の謝罪コメントの中の「思うように人を笑わせられなくて、浅はかに人の気を引こうとしていた頃だと思います。」というコメントも、このような誤解に拍車をかけることになってしまっています。
小林氏自身が、この記事で書いたような説明をしようとすれば、言い訳と捉えられ、更に炎上したと思いますので、謝罪したことは得策だと思いますが、更に誤解を生んでいると思います。
コントの構成がわかれば、「ホロコーストごっこをしよう」と言っているわけではないことはご理解いただけるのではないでしょうか。
お笑い芸人の爆笑問題の太田氏は「できるかな」の偽善性を茶化したものであって、ホロコーストを茶化しているのではないという評価をしています。
それと同時に外国人にこれを説明して理解してもらうのは難しいだろうとも言っています。
私も「できるかな」という子供番組を知っていることを前提に成り立つコントなので、外国人だけでなく、日本人でも誤解をされる方がいるのは無理もないと思います。
実際に理解したからといって、人権団体やユダヤ系の人が楽しめるコントだとも思いません。
しかし芸人を辞めた後に職を解任されなければならないような内容でしょうか。
この内容をもって差別主義者であるかのように小林氏を排除しようとすることは、ナチスがユダヤ人を排除しようとしたこととあまり変わらなくなってしまうのではないでしょうか。
そのため苦情を申し入れた人権団体や小林氏を批判する人には、楽しめなくても良いので、コントの内容を改めて検証していただきたいと思います。
コントの内容がわかれば、放送できない(許されない)内容としてホロコーストごっこというような表現を用いたことが不適切だったとしても、これについては小林氏の謝罪で十分な気がします。