オリンピックやパラリンピックが開催され、開会式や閉会式などでパフォーマンスが行われています。

コロナ下での開催ということもあり、当初の企画どおりに進まない部分もあるせいか、かなり辛口の意見も聞かれます。

今回のパフォーマンスが良かったか悪かったかということとは別に、この手の海外からのお客さんをもてなす時に行われるパフォーマンスを観て、思うことがあります。

和の曲をロック調にしたり、和の絵画を現代風に加工したりしたものが使われることに違和感を感じるのです。

これが日本の伝統ですと、和の曲や映像を紹介したいという気持ちはわかるのですが、必ず西洋的な加工が加わっているのです。

もてなす海外のお客さんに対しても、その国の文化を取り入れて理解しやすいものにしているのかもしれないのですが、これが日本の伝統ですと言わんばかりに、曲や映像を披露しているのを観ると、そんな伝統はないですよねという気持ちになってしまうのです。

オリジナルをそのまま見せるとか、オリジナルのもの同士を組み合わせるということはあまりないのです。

小中学校でもソーラン節などをロック調に編曲したもので踊りを踊ったりすることがあるので、全否定するつもりはありませんが、歴史的にもほとんど存在しなかったパフォーマンスを海外の人達に見せることにどのような意味があるのか疑問に思うのです。

歴史的なものから今の日本の作品への流れを見せるなどの手法もあると思うのですが、なぜかそのようなパフォーマンスが行われることはありません。

かと言って今問題にしているパフォーマンスが、これから日本の伝統になるかというと、そういうものでもないと思うのです。

私が感じる違和感は、このような和洋折衷が陳腐化してきているからかもしれません。

この得体の知れない和洋折衷が国際的な式典のたびに何故出てくるのか、いつも不思議に思うのです。