最近、日本でもオーロラが見られたという記事を書きました。

北海道の一部で比較的簡単に見られたようですが、変わった所では兵庫県の一部でも見られたようです。

同じ現象が、今から650年前の室町時代にもあったのではないかと、兵庫県で話題になっています。

きっかけは、2020年に国立極地研究所の片岡龍峰准教授のもとに、今回オーロラが見られた兵庫県美方郡香美町香住区出身の男性から、香住に古くから伝わる「光の事件」はオーロラでしょうかという質問があったことです。

2022年になって、片岡先生は、国文学研究資料館の山本和明教授と共に現地調査を始めました。

香住区にある八坂神社にある、神社の由来を刻んだ碑文にオーロラに関する記述がある可能性が出てきたのです。

1834年に八坂神社の縁起を書き写したとみられる「但馬美含郡卯月嶋山長福寺縁起」という古文書が、東京の神田の古書店で売られているのを見つけ、調べてみると「応安三年庚戌、明景の頃、此ノ浦沖に於て昼夜光り耀くこと百有余日也。尓は乃ち近里遠方之を見、之を聴き、且つ奇且つ恐る」という記述がありました。

内容は、八坂神社の碑文とほぼ同じで、「応安3年(1370年)の秋ごろ、香住の沖に百日ほど夜通し輝く事があり、その光は波利のようだった」というような内容です。

「波利」というのは、赤い花が咲くハンノキという植物の古い名称です。

これが「火柱」とも表現されるオーロラを表しているのではないかと推測されています。

「火柱」という表現を知らなければ、「波利」と表現しても不思議ではありません。

この推測が正しければ、650年前にも兵庫県でオーロラが見えていたことになります。

「且つ恐る」という記述からも、情報が乏しい昔にオーロラが見えたら、天変地異ではないかと、恐れおののいたのではないかということが推測できます。

「波利」=オーロラ説、十分あると思います。