神社で、しめ縄の架け替えが行われる時期です。
しめ縄には様々な意味があるようですが、しめ縄には神様の居場所となる神聖な領域を示すという役割があります。
結界のような働きをするわけです。
神聖な領域である常世(とこよ)と我々の現実世界である現世(うつしよ)を分ける意味があり、神域に悪霊や不浄なものが入れないようにするものです。
現実の世界を「うつしよ」と呼んでいるのが興味深いです。
縄の部分は「雲」を表しています。
下がっている白い紙は、紙垂(しで)といい、雷を表しています。
昔の人が、食べ物の豊作、不作を左右する天気と神様を一体のものとしてとらえていたことがわかります。
雷は、神鳴りに通じているのです。
プラトンの洞窟の比喩のように、我々の認識している現実世界は、実は実態が存在するといえるのか怪しいという考え方は昔から存在します。
仏教でも、色即是空であり、諸行無常なわけです。
同じ人間ですから、世界のいたるところで、異なる時代に、同じようなことを考えた人間がいたとしても、奇妙な一致として、不思議ではないといえなくもありません。
ところが、この世界には、実体といえるようなものが存在しないのではないかという考え方は最新の宇宙論とも重なってくるのです。
最新の宇宙論の中に、宇宙の端っこに世界のすべての情報が書かれている壁が存在し、われわれが、現実とみている世界は、その情報の再現ではないかという説があるのです。
トンデモ科学ではなく、現在かなり有力な説です。
我々の日常生活でも、世界では情報が存在する場所をクラウド(雲)と呼び、情報空間と現実世界を分ける雲を、私たち日本人は、しめ縄として飾っているとすれば、全てつながっているのかもしれません。
信じるか信じないかはあなた次第です。