これまで、日本の小豆は、稲と同じように大陸から伝わったと考えられてきました。
今回、農研機構(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)と台湾大学の研究チームが、小豆栽培の期限が縄文時代の日本であるという研究結果を発表しました。
同時代の中国(現:中華人民共和国)の小豆に比べ、日本の小豆の方が大粒だったことが知られています。
発掘調査で出てきた小豆が、選別された大粒のものである可能性もあり、裏付けが不十分でした。
今回研究チームは、ゲノム解析により小豆栽培の起源が日本の縄文時代にあることをつきとめました。
葉緑体ゲノムを解析したところ、日本の野生のアブツルアズキから栽培アズキが生まれ、それが中国に持ち込まれて中国のアブツルアズキになった可能性が高いのです。
日本の野生種と同じゲノムだったら、中国起源で日本の種との交配が進んだだけと考えられたのではないかと思います。
ところが、日本の野生種と中国のヤブツルアズキのゲノムが異なるので、日本起源のものが栽培用の種となって大陸に伝わったと考えた方が、上手く説明できるのだと思います。
最近、このブログの「ファーストペンギン」という記事の中で、これまで考えられていたよりも前に、日本列島に人間がやって来た可能性があるということを書きました。
そのため、これまでよりも狩猟採集生活をしていた期間が長いことになるので、喜んでもいられないということを書きました。
しかし、小豆を栽培していたとなると、狩猟採集生活とは言いにくいため、縄文人は今考えられているよりも、文化的な生活を送っていたのかもしれません。
縄文人が、小豆を甘くして、あんこにしていたかどうかは分かりませんが、豆のたんぱく源を上手く生活に取り込んでいたのだと思います。