気温が上がり、水辺での事故が増えてくる時期です。
すでに川でおぼれた人を助けようとして、反対に溺れて死亡する事故も起きています。
今回、岩手県の釜石市で、ウニ漁に出ていた男性が、岸壁から海へ転落した軽トラックを、着岸用のカギ棒で引っ掛け、車体が沈むのを遅らせ、その間に軽トラックに乗っていた女性が窓ガラスを開けて外に脱出し、更に、その女性に、男性が棒を差し出し、捕まった女性を船に引き上げて救助するという出来事がありました。
善意から、水に落ちた人を助けようとするのは、必ずしも悪いことではありません。
ただ、助けようとして溺れてしまう人と、今回のように助けるのが難しそうなのに助けられてしまう人の違いが何か考えてみました。
おそらく、日常的な感覚から、現場の状況から引き出せる情報量の違うだけでなく、引き出した情報から先の展開を読む想像力の違いではないかと思います。
つまり、助けた男性には、使っているカギ棒の特性や、普段から船に乗っているため、実際に車で沈んだことはなくても、軽トラックが海に落ちたらどうなるかということが物理感覚としてわかっていたのだと思います。
同じ状況でも、カギ棒で窓ガラスを割ろうとしたり、どうしたらよいか迷っている間に車が沈んでしまうという事態になっても不思議ではありません。
それが、沈まないようにカギ棒で引っ掛けても、浮力があるので車を支えられるのではないかという物理感覚が、男性にはあったのだと思います。
反対に、溺れてしまう人は、思ったより衣服を着ていると泳げない。
あるいは、自分が泳げても、溺れている人にしがみつかれると、それを支えきれないということを考える間もなく飛び込んでしまうのだと思います。
その善意を責めるつもりはありません。
ただ、そのような善意がある人だからこそ、自らの命は落とさずに、助ける手段を考えてほしいと思うのです。
救助のプロではありませんので、実際の事故現場では、答えは無いのかもしれません。
咄嗟に考えようとするだけの心の準備は、しておきたいものです。