国土交通省関東運輸局は、不適切な点呼を繰り返していた日本郵便に対して、貨物自動車運送事業法に基づき、一般貨物自動車運送事業の許可を取り消しました。

集配拠点間の輸送などで使われている、バンやトラック約2500台が使用できなくなります。

民営化されたから不適切な点呼が行われるようになったのか、民営化されなくても不適切な点呼が行われていたのかは、以前の実態がよくわからないため、何とも言えない部分があります。

ただ、郵便物の配達の日程が見直されている中、このように輸送に使われているトラックなどが使用できなくなるのは、郵便物の配達にも支障が出てくる可能性もあります。

仮に同じ日程で運べるとしても、職員の負担は増すことでしょう。

このように、民営化してよかったのかどうか評価が難しくなってきています。

郵便事業を行う場合、民間企業では配達をカバーしにくい地域にも、公営であればサービスの提供が可能になります。

ただ、現在は、地方だけでなく、都市部でも過疎化が進み、好きな場所に、まばらに住むより、公共サ-ビスなどが提供可能な地域に、人が集まって住む方が、サービスを提供する方も、サービスを提供される方も、好都合な状態が出てきています。

そのため一概に民営化すべきでなかったと言い切れない部分もあります。

郵便サービスの提供の仕方だけでなく、財政投融資の原資となっていた郵貯や簡保のお金が、民営化することで、公的資金として吸い上げられることなく、民間で循環するようなるというのが民営化を進めた大きな理由の1つでもありました。

しかし、独立採算になって、政府の財源不足の部分は国債に頼ることになり、いきなり民営化されたしわ寄せは、日本郵便の財務の悪化という形で現れました。

結局、政府の債務が日本郵便の負債に変わり、民間で循環するはずだったお金も、国債の購入という形で、国民から政府に貸し付けられたことになります。

これでは、民間でお金が循環しているとはいいにくいため、財政面では、形式が変わっただけで、お金が政府に吸い上げられなくなったかどうかの評価は難しいところです。

割を食ったのは、日本郵便といえるかもしれません。

既存の郵便網の活用など、思った程、郵便事業での「貯金」が無かったということなのだと思います。

結局、点呼が、以前から不適切に行われていたかどうかだけでなく、民営化により、経済効率に合わない部分は、削ぎ落とされていくことになるのだと思います。

点呼が適切に行われて、運転させられないとなった場合、代わりのドライバーを連れてくるか、少なくとも代わりの人材を準備させておかなければなりません。

そのような余裕は、現在の日本郵便にはないのではないかと思います。

このブログでは依然、点呼の問題をモラルハザードの問題のように書きましたが、もはや、モラルだけの問題ではなくなっているのだと思います。