参議院議員選挙での自由民主党の実質的な敗北を受けて、それでも政権を担当し続けようとする石破首相の責任について議論をするための両院議員総会が来週開かれる予定です。
選挙で負けたことに危機感を持って、若い有権者に近い世代の若手議員が選挙での責任を追及しようとするのはわかります。
次の総裁の座を狙っている人が、石破おろしをするのもわかります。
ただ、どうもそれ以外の利害関係で、石破首相を下ろしたいという人もいるようなのです。
戦後80年談話の問題です。
戦後談話とは、先の戦争から一定の期間が経って、過去の戦争への評価や位置づけといった歴史認識と、これに関連して、現在の日本の状況や将来への展望を首相が述べるわけです。
戦後談話には、先の戦争をどうとらえているかや、日本がどうあるべきかということが表れます。
安倍元首相による戦後70年談話があるので、戦後80年談話は不要という人々がいます。
特に、石破首相と仲が悪かったとされる旧安倍派は、石破首相に戦後80年談話は出させたくないわけです。
首相の戦後談話は、党としての理念と捉えられますので、旧安倍派の人たちは、安倍元首相が70年談話で出した考えが、石破首相の考え方によって上書きされるのを避けたいわけです。
石破首相が、政権続投への意欲を見せるのも、まだ満足に自分の政策を実行できていないことに加え、戦後80年談話を自分の言葉で述べたいという気持ちもあるのではないかと思います。
一方国民は、消費税の減税が実現するかどうかが関心事です。
国民の意見を聴いて実行に移すだけなら、どの政党でも、代り映えしないのではないかと思います。
そうすると、政党としての存在意義は、国民の意見を聴くだけでなく、政党としての理念も重要ということになります。
しかし、抽象的な理念だけで、国民の生活が楽になるわけではありません。
もともと、同じような考え方の人が集まっているのが政党のはずなのですが、その中での、保守やリベラルといった違いに国民が付き合わされるのは避けたいものです。
同じ政党でも首相によって考え方が異なるというのは、普段の言動や政策からわかることです。
戦後談話として残るかどうかは、政治家にとってのこだわりとしか言いようがありません。
反対する人々にとっては、選挙で負けた首相の考えだから、戦後談話として出したら、党が終わるという発想なのだと思います。
戦後談話を出して選挙に負けたなら、その時こそ責任を追及すべきなのだと思います。
誰の考えが正しいかということよりも、異なる考えを出させないというのは、民主主義の敗北といっても過言ではありません。
政党内という狭い世界ですら、民主主義が危うくなっているというのは、1つの政党が選挙で負けたということ以上に問題視すべきことではないかと思うのです。