このブログの記事でも書いたように、石破首相の戦後80年談話は、今のところ出されていません。

談話を出すには、閣議決定だけでなく、党内のすり合わせも必要なため、実質的に出せない状態なのだと思います。

それでも、全国戦没者追悼式典の式辞で、石破首相は、「反省」という言葉を用いました。

国内では波紋を呼びそうです。

海外メディアもこれを取り上げ、国内からも評価する声が上がっています。

あれだけの被害を出しておきながら、先の大戦に対して「反省」という言葉を用いることが、特別なことのように捉えられること自体が不思議な感じがします。

一国の首相の発言ですから、日本の法的な責任論を再燃させたくないなど、政治的な意見はありうると思います。

しかし、国内の被害はもちろん、海外で巻き込まれた人もいる以上、「反省」という言葉は、何らおかしな表現ではありません。

こういうことを言うと、すぐ「左」などと言われたり、「自虐史観」などと言われたりします。

しかし、「反省」というメッセージを伝えてこそ、靖国神社の参拝への誤解を解くなり、説明を試みるといったことが可能になっていくのだ思います。

同じように、海外への謝罪の気持ちを伝え、慰霊の活動を続けられた日本人の筆頭が、上皇上皇后両陛下だと思います。

両陛下の活動は、日本の「ホワイト化」ではなかったかと、私は思っています。

ホワイト化とは、下地が濃い色のものだと、上に色を塗っても下地の色が透けて、上に塗った色がうまく出ません。

そこで、まずホワイトを塗って、その上から塗りたい色を乗せると鮮やかに色が出るのです。

両陛下の活動は、これと同じことをなされたのではないかと思うのです。

つまり、戦争という暗い色が色濃く残ってしまうと、これからの日本人が、どのような色を海外の人に見せようとしても、戦争という暗い過去が透けて見えてしまう、これからの日本人が海外の人から恨みを買うことがないように、そして、海外で戦争の被害にあわれた方には、お詫びや、お見舞いの気持ちを伝えるという、戦争という暗い色の上にホワイトを塗る活動をされて来たのが両陛下だと思っているのです。

そういうことを言うと、今度は「右」だとか言われるのだと思います。

ただ、この記事にも両方の内容が混ざっているように、自分の立場を、特に「右」だとか「左」だとか考えて発言したことはありません。

普通の考えだと思っています。