栃木県大田原市に、徳川光圀が埋葬者を特定するために、調査を命じたとされる「侍塚古墳」があります。
既に終了しているのですが、一般の人も参加できる発掘体験が行われていました。
その中で、東日本には存在しないのではないかといわれていた円筒埴輪の破片が見つかっていたのです。
侍塚古墳は、古墳時代の前期といわれる時期にみられる前方後方墳です。
前方後方墳から円筒埴輪が見つかることは少なく、東日本には存在しないのではないかといわれていましたが、この時期の東日本にも円筒埴輪が存在したということになりそうです。
江戸時代の鎖国のイメージが強いので、日本は、古い時代に海外との交流がなかった感じがしますが、正倉院にもシルクロードを通ってきた宝物が保管されているなど、更にその前の時代にも、海外との交流はあったと考えられます。
そこから、日ユ同祖論が盛んです。
日本人の先祖とユダヤ人につながりがあるのではないかという考えです。
一面で事実を含んでいるのではないかと思います。
しかし、日ユ同祖論の中に、古墳、特に前方後円墳の形が、ヘブライ文字を模っているのではないかという説がありますが、これは行き過ぎだと思います。
古墳は、方墳や円墳があり、次に前方後方墳ができ、そのあと前方後円墳ができたと考えられます。
もし、ヘブライ文字を模っているなら、はじめから前方後円墳が存在しないと説明がつかないからです。
前方後円墳は、前方後方墳の後ろの方墳が円墳に変化してできたと考えられます。
考古学的に考えても、ヘブライ文字説は矛盾しているのです。
しかし、影響のされ方は異なるにせよ、個人的には、ユダヤ系の人から日本人が何らかの影響は受けているのではないかと思っています。