新しい総理大臣が誕生し、外交関係を考えるうえでも、防衛問題を考えるうえでも、先の戦争に対する考え方というのが大きな意味を持ってきます。
国内で風化していく記憶をどう伝えていくかということも問題になってきます。
戦争は恐ろしいものと感じている人だけが、悲惨さや反省といった感情を伝える施設や資料だけだと、かえって関心を持たれなくなっていくように思います。
この辺は、福祉事業などに善意を求め過ぎると、協力者の裾野を狭めてしまう構造に似ている気がします。
そのため、どのような施設を設け、どのように伝えていくかということに学問的な研究やデータに基づく機能的な検証がなされてもよいのだと思います。
国内で国民が納得するかというだけでなく、海外で受け入れられるかどうかということも重要です。
加害者という言葉を使うこと自体が、既に自虐史観と言われそうですが、加害行為を肯定する加害者の考え方を、被害者側が受け入れがたいのは当然かもしれません。
被害者だと思っている人に、加害者側の反省を促す教育内容を考えろというのも無理があるような気もします。
結局、どこの国も、自国に都合の良いように考えがちなので、相手国の主張を自国で伝える媒体を持つことで、バランスが取れるような気もします。
最近、すべての教育は洗脳であると主張する人も出てきています。
教育と呼ばれるか、洗脳と呼ばれるかは、次の戦争が起きるかどうかで評価が分かれてくるのではないかと思います。

