靖国神社に対する外国人の落書きが続いています。
一部の外国人にとっては、先の戦争で、自国を戦争に巻き込み、攻撃した人間を祭っている施設を否定したいということだと思います。
しかし、現在神社あるいは神道というものを思想的な背景に、戦争を肯定する日本人はほとんどいないと思います。
それでも、靖国神社が、戦争を肯定する象徴的な存在のようにとらえられてしまっている以上、同じようなことは続くのかもしれません。
政府要人による公式参拝などは、外国への配慮から、現在も認めにくいということは理解できます。
先の戦争において、外国人が懸念するように思想的な背景となった側面が無かったわけではないので、開き直るわけにもいきません。
ただ、歴史的には靖国神社は先の大戦の戦没者だけを祭っているわけではありません。
もともと戊辰戦争の犠牲者を祭ったのが始まりで、以降戦争で亡くなった人が中心に祭られています。
靖国神社への参拝は、決して戦争を肯定するわけではなく、戦没者を弔う気持ちで参拝する人が多い場所だということは、これからも発信し続ける必要があると思います。
いやなニュースが続くので、良い話題を少し書きたいと思います。
靖国神社では、近くのミッション系の高校に通う生徒さんが、立ち止まって一礼する姿を見かけることがあります。
神社は神道の施設で、学校はキリスト教系の学校ですから、一礼する必要はありません。
これには以前、この学校に通っていた生徒さんも、どう対応して良いか迷っていたようで、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が来日した時に質問したそうです。
ヨハネ・パウロ2世の答えは「頭(こうべ)を垂れて通りなさい」というものだったそうです。
歴史的には、他宗教に厳しい対応を見せたこともあるキリスト教ですが、紆余曲折を経て、このような寛容な姿も見せています。
反対に、歴史的には他宗教に寛容だったイスラム教の国で、国際紛争が起こっています。
先の戦争を踏まえ、靖国神社へ参拝する気持ちと同じ気持ちをもって他国や他の宗教への寛容さを示すことができるかどうかが、これから問われていくのだと思います。