古墳の代名詞といってもよいぐらい教科書などにも登場する仁徳天皇陵で出土したとされる副葬品が発見されました。

大阪府堺市にある仁徳天皇の陵墓さとされる大山古墳では、明治時代に石室から副葬品が見つかったという記録が残っていました。

明治時代の調査の際に副葬品が発見され、発見された副葬品は絵図にされ、その後、石室に戻され、石室ごと埋め戻されたとされていました。

絵図は残っていましたが、今回その絵図に描かれていた実物が発見されたのです。

発見されたのは、江戸末期に大工の棟梁を務め、明治の調査で記録係だった柏木貨一郎氏の遺品の中からです。

國學院大學が、2024年に柏木貨一郎の遺品を購入し、その中に大山古墳の副葬品が含まれていることが分かったのです。

柏木貨一郎は、明治の調査時に、現場に立ち会っています。

見つかった副葬品は、和紙に包まれた状態で、副葬品の名が書かれていました。

刀子(とうす)や甲冑が発見されています。

日本に仏教が伝わる前ですから、日本独特の方法で弔われていたことが伺えます。

副葬品には、高い宝飾技術が使われており、それだけ被葬者の権力が大きかったということが言えそうです。

古墳時代は、鉄器が普及して行く過程にあり、メッキが施されることもありましたが、今回発見された副葬品の甲冑片は、金銅板の装飾が施されています。

復元された甲冑の画像を見ましたが、武士が身に着けていたものよりも、大陸系、中国(現:中華人民共和国)やモンゴル(現:モンゴル国)のもののようなデザインに近い印象です。

製鉄などの技術とともに武具などに関する技術も大陸から伝わったのかもしれません。