奈良県の平城宮跡に、かつてあったとされる第一次大極殿院の東楼が復元されました。
これまで、建築のために外側を覆っていた建屋が、レールを移動して建物が姿を現したのです。
電車が駅舎から出てくるイメージです。
電車の場合は、電車の方が動きますが、東楼の場合は、足場や屋根となっていた、駅舎にあたる建屋の方が移動して、東楼が姿を現したのです。
建屋が、レールで移動できるようになっているのも現在の建築技術ならではといえるかもしれません。
なぜ移動できるようにしているかといえば、西に移動させて、今度は西楼を建築するためです。
言い方を換えると、現代でもこのような大きな建屋を機械を使って建てないと建築することが難しい建築物を、昔の人が建てていたということになります。
710年平城京遷都「710(なんと)綺麗な平城京」で覚えた方も多いと思います。
復元された東楼を見ても、実際に綺麗なので、この語呂合わせはよくできていると思います。
平城京に都を移し、奈良時代が始まったわけです。
奈良時代といえば聖武天皇ですが、平城京へと遷都したのは元明天皇(女帝)です。
遷都しようと思うぐらいの政情不安と平城京への遷都前の藤原京が、地理的に衛生環境面で問題を抱えていたことから遷都を決めたのだと思います。
また、遷都するだけではなく、これより前に遣唐使が派遣されていたことにより唐の都の情報が得られていたことと、それを真似るだけの建築技術の発達が、現在復元しようと思っても大変なぐらいの建物を、当時建築できた理由なのだと思います。
この後、聖武天皇により、政情安定や疫病の減少を願い、国家平定のために大仏建立へと進んでいきます。
現在も、新型コロナウィルスを始めとする感染症が流行していますが、次の為政者に、大仏建立と同じぐらいの国家平定への思いはあるのでしょうか。