建設現場で建材に使われていたアスベストを吸い込み現場で働いていた人や現場の近隣の人が肺がんや中皮腫になるという被害が発生していました。
この問題を巡っては全国で集団訴訟が提起されていましたが、その集団訴訟のうちの一つで今日最高裁判所の判決が出ました。
メーカーと共に国の責任も認められました。
被害者が救済される方向での判決ですので良かったなと思う反面、法的には説明がやっかいな部分があるなと感じました。
このブログでも何度か触れているように最高裁判所は法律審ですので憲法問題を扱います。
その法的な理論面の詳細が今ひとつ伝わってこないのです。
争点としては国が被害を防止するためにアスベストについて必要な規制を行わなかったことに責任があるのかどうかということが争われました。
何らかの不作為について責任が認められるのかが争われていることになります。
一つ考えられるのは被害を防止するためにアスベストを規制する法律を作らなかったという立法不作為が考えられますが、立法不作為による責任は簡単には認められないため、立法不作為を争っているとは考えにくい気がします。
すると次に考えられるのは現行法に基づく行政活動として必要な規制を行わなかったという行政府の不作為を争ったということが考えられます。
立法不作為は簡単には認められないが、行政府なら認められるかというと、そういうことでもありません。
もしかするとどっちというより、どちらもありうるので「国」の責任ということなのかもしれません。
いずれにしても司法府である裁判所が、立法府や行政府の本来の活動について、こうあるべきという判断はしにくいのです。
このような点からも不作為について義務違反を認定し国の責任を認めたというのは、理論面での判断を示すことよりも被害者の救済に力を注ごうと考えたのではないかと思います。
訴訟の過程では「一人親方」も「労働者」にあたるという法的な判断がなされていますが、この最高裁での判決は国に責任ありという結論が動かしがたかったことによる事例判断であるか、あるいはそれに近いものなのかもしれません。
理論面は学者の先生方の判例の評価を待った方が良さそうです。
更に最高裁判所での判決が出ましたが、国側の和解案を原告側が受け入れたという報道があり、これも少し引っかかります。
通常和解は判決に代わるものなので、判決が出ていて和解というのも違和感を感じます。
集団訴訟は各地で提起されているため、この表現は言葉の綾で、本件については判決まで行ったけれども、係属中の他の訴訟については和解するということなのかもしれません。
そうすると被害者の中には訴訟を提起し勝訴判決を得た人、訴訟を提起したが裁判中の人、まだ何もしていない人がいることになります。
国は訴訟を提起していない被害者についても金銭的な手当をするようです。
どの被害者にも和解金が支払われることになりそうなので、判決を勝ち取った被害者と訴訟を提起しなかった被害者の金銭的な手当が同じで良いのかという疑問も生じます。
訴訟を提起していない人を責めているわけではありません。
さらに勝訴した原告が受け取るのは国家賠償プラス和解金なのか、国家賠償の中に和解金を含むということなのかにも興味が行ってしまいます。
他人の懐具合が気になるということではなく、あくまでどういう理屈で救済案を考えているのかという興味です。
もやもやするが結論は良かった
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「建設業界にも影」