佐賀県の吉野ヶ里遺跡で遺跡の発掘作業が進んでいます。

吉野ヶ里遺跡は稲作が始まった頃のものなので、富が蓄えられようになってきたため、集団でそれを守りながら稲作が行われていた時代なのだと思います。

見つかってから大分経っているので、もう新しいものは出て来ないと思っている方もいらっしゃると思います。

ところが、遺跡の中心部付近に神社があったため、手がつけられていない場所があり、「謎エリア」と呼ばれていました。

神社を移設して、現在、この謎エリアの発掘作業が行われているのです。

何か出るのではと期待されていましたが、案の定、石棺墓が出土しました。

2世紀後半から3世紀半ばのものではないかと見られています。

見晴らしの良い丘陵部から単独で出土したため、有力者の墓と見られています。

神社があったため、守られてきたといっても良いかもしれません。

時代から言えば神社ができた方がずっと後だと思いますが、お墓が守られてきたことになります。

時代で言えば、邪馬台国の時代と同じということもあり、何か関連がある人かもしれません。

邪馬台国が存在した場所については、畿内説や九州説があり、もし九州説が正しいとすれば、吉野ヶ里遺跡も何らかの関連があった場所である可能性もあります。

時代は令和になり、このような古い時代の物はもう出て来ないかと思うと、たまに出土することがあります。

国内の文献がほとんど残っていない時代のことですが、当時の様子が少しずつでもわかるようになるのは、興味深いものです。