沖縄県の石垣島で進んでいる大規模なリゾート開発に関連して、地元住民が(特別天然記念物のカンムリワシを原告に加えて)、那覇地方裁判所に訴訟を提起しました。

地元民の具体的な主張は、開発予定地には貴重な生物が棲息していて、そのような場所を開発することは自然破壊に繋がり、そのような行為に石垣市の土地が無償提供されることが、地方自治法に違反するというものです。

人間が生物に代わって自然価値を主張するので、「自然の権利訴訟」などと呼ばれます。

人権思想の元になっている「自然権」とは別の話です。

以前、アマミノクロウサギの訴訟の時にも話題になったのですが、マスコミでは「原告」などと表現されることがあるのですが、法的には原告にはなれません。

動物には、現行法上、権利能力がないため法主体とはなり得ないのです。

法人格のない存在についての代理も観念できませんし、訴訟能力があるわけでもありません。

つまり、カンムリワシの「代わりに主張する」というのも事実上の話であって、現行法上はありえないのです。

比較法的には、動物の権利を養護する法律があった国もあったのですが、日本の現行法上、動物はあくまで「物」に過ぎません。

なぜ、海外で法主体性を認めるような動きがあったかといえば、おそらくキリスト教の影響だと思います。

人間と同じく、造物主である神によって造られた存在である動物にも法的な権利はあるはずだという考えです。

しかし、現実の法主体として考えると、何が動物のためになるのか人間が判断しても、本当に動物のためなのか確認のしようがありません。

放置するのが人間のエゴならば、これが動物のためになるという判断も人間のエゴといえなくもないのです。

ただし、現状を肯定するだけでは事態の改善は望めません。

人間の中にも、より動物への理解が深い人というのは存在します。

そのような人の意見も聞いたうえで、あくまで人間の利益として反射的に動物の利益を養護していく他ありません。