文学史でも学んだ国内初の勅撰和歌集「古今和歌集」の代表的な注釈書である顕注密勘(けんちゅうみっかん)の原本が発見されました。
これまで顕注密勘は写本が残っていますが、藤原定家が書いた原本は初の発見です。
今回見つかった顕注密勘は、上中下の三冊で、上は冷泉家の南北朝時代の当主が写したもの(原本は火事で消失と思われる)で、中と下が藤原定家の自筆のものです。
京都の冷泉家に保管されていたものが、藤原定家の自筆の原本であると確認されました。
ここでおさらいしておきましょう。
勅撰和歌集は天皇や上皇の命によって編纂された歌集です。
国内最初のものが古今和歌集です。
この古今和歌集は貴族の基礎的な教養として学ばれてきました。
冷泉家は、定家と血縁関係があり、代々宮中で和歌を教えてきた家系です。
顕注密勘は、その冷泉家の蔵から見つかりました。
どうして原本とわかるかというと、紙質や筆跡、花押などから藤原定家の自筆と判断されました。
昔は字が読める人が少なかった上、テキストとなる紙も貴重だったので、庶民が読み親しむというわけにはいきません。
和歌の意味や漢文の読み方は、限られた家で受け継がれていったのです。
その冷泉家から見つかったものなので出所もしっかりしています。
このように一部の上流階級にしか触れる機会がなかったのが和歌のようにも思えますが、良い歌さえ詠めば、詠み人知らずであろうが、防人であろうが、天皇の歌と肩を並べることができたのです。
日本の国歌である「君が代」も歌詞は古今和歌集の詠み人知らずの歌からとられたものです。