NHKの連続テレビ小説「虎に翼」のタイトルを見たり聞いたりする機会が増えた気がします。
法曹界に限らず、自分のいる業界も同じだったと感慨深く観ている女性が多いようです。
男か女かというだけでなく、それ以外のジェンダーの問題も取り上げられることが多くなっているため、視聴者の関心も高いようです。
あえてその流れに苦言を呈したいと思います。
最近の女性登用についての流れです。
もちろん、男性優先にしろという主張ではなく、取って付けたように女性を抜擢すれば、まともな人事だと考えているのではないかという人材登用を目にする機会が増えているからです。
それはある意味、女性を馬鹿にしているのではないかと感じられるのです。
女性の方もやっと要職に就く機会に恵まれたと喜ぶだけでなく、このような人事なら辞退するという人が出てもよいくらいです。
それに加え、これまでの男尊女卑に対する見方にも、物を申したいと思います。
これについても、男が尊いからというつもりはありません。
日本で典型的な男尊女卑の考え方が強かったことは認めますが、昔の人は本当にそんなに単純な人ばかりだったのかということです。
古くから女性が入れない場所がありました。
鉱山などにも女性が入れませんでした。
漁に出るのも男だけという地域も多かったと思います。
職場もその1つでした。
少し前までは、男は仕事、女は家庭を守るというのがステレオタイプな家庭観といってよいのではないでしょうか。
これらが、単に典型的な男尊女卑の考えに基づくものだったのかということです。
そういう考えの人がいたことは否定しません。
極論になりますが、男女の性差を考えた場合、男が複数、女が1人で、同時に複数の子供を産むことはできません。
しかし、不謹慎かもしれませんが、男が1人、女が複数では同時に複数の子供が産まれる可能性があります。
子孫を多く残すという観点になってしまいますが、昔の人はこれに気付いていたのではないかと思います。
つまり、女性が多く生きていれば何とかなるという発想です。
そのため怪我をしたり、命を落とす可能性のある場所から女性を遠ざけようとしたのではないかと思います。
それが崩落などの危険がある「炭鉱には女を入れるな」や板子一枚下は地獄といわれる「漁に女は出るな」といった主張につながっていったのではないかと思うのです。
それを納得させるために、この記事に書いたようなことではなく、「女神が焼きもちを焼くから」などという伝承が生まれたのではないかと思います。
ラディカル・フェニミズムの人たちからは、そんなことは余計なお世話だと怒られるかもしれませんが、男尊女卑と思える考え方の中に、今書いたような発想の遺伝子も隠れているのではないかと思うのです。
社会の現実を見れば、有能さだけで出世するわけではありません。
男性同様優秀な女性がいるのは当たり前です。
にもかかわらず、男は仕事、女は家庭というステレオタイプな考え方が登場したのは、世の中の仕事では、理不尽なことや犯罪スレスレ、というより時には犯罪すら犯さなければならないこともあり得ます。
世のお父さんたちは、そのようなことをしてでも、お金を稼いで家庭を支え、家族を養ってきたのではないでしょうか。
ステレオタイプな家庭観には、女性はそのようなことに手を染めず、まともに子供を育ててくださいというメッセージが隠されているように思うのです。
この状況は女性が社会進出をしても、これまでと変わらないのではないかと思います。
つまり、有能な女性が社会に出たからといって、有能さとフェアさだけで仕事をしていけるわけではないと思うのです。
そうすると、どうなるか。
際どいことに手を染めるのが男性だけでなく、女性もそのようなことに手を染めざるを得なくなるのです。
その時、際どいことに手を染めている者同志の夫婦に育てられた子供はどうなるでしょうか。
案外まともに育つのかもしれません。
ただ、昔の人が、それでは子供がきちんと育たないと考え、そのようなことを避けるために、一見古臭い男尊女卑的な考え方をとってきた側面もあるのではないかと思うのです。
そのうち本当に男は優秀で、女は劣っていると勘違いする男性が出てきたというのが実情ではないかと思います。
そのような男性も多かったことは否定しませんが、労働人口が減り始め、人手に困って、取って付けたように女性を登用することは、決して「翼」にはならないのだとご承知おきください。