熊の出没が相次いでいます。

特に東北以北では、目撃件数も多く被害も目立っています。

出没の多い東北地方では、昔からマタギと呼ばれる猟師さんが獣を捕まえてきました。

現在、公設のハンターなどの検討がなされています。

時代の流れということで、マタギの数が減ってしまいましたが、廃れてよいというものではなく、いなくなればいなくなったで、生態系のバランスも変わってきてしまうということだと思います。

それを考えると、絶滅しない範囲で獣をとらえ、食料や収入にしてきた人の存在は、時代遅れのように見えて、社会の中で合理的な存在であったということがわかります。

熊も人間も加わらない食物連鎖の歪さは、どこかにしわ寄せが来るのだと思います。

昔は、動物を捕まえることを猟師に依存していたとしても、生きている命と食の距離感は今よりもずっと近かったと思います。

今は、ジビエ料理などと呼ばれ、食べることには関心が集まりますが、動物の解体や、肉の処理、寄生虫などを回避するための食べ方など、生きていくために必要だった知識や経験はあまり見直されることがないように思えます。

人に安全を確保してもらって、危険な現場とは離れたところで生活したいという気持ちが出てきてしまうのは、国の安全保障の問題と共通するものを感じます。

まったく別の問題のようにも思えますが、どこか共通の心理が働いているような気がします。

熊は単に駆除するだけでなく、せっかく命をいただいたのですから、食べるというのは悪いことではないと思います。

今、高市首相の存立危機事態発言で、揉めている中国(中華人民共和国)では、満願全席という宮廷料理があります。

熊の手は高級食材とされています。

蜂蜜を舐めているので、熊の手は蜂蜜の風味がするという話も聞きますが、真偽の程は、よくわかりません。

ただ、現在その蜂自体の数も減っているようですので、熊が増えたり、蜂が減ったりと、環境への配慮もしなければ、料理の味も変わってくるのかもしれません。