旧統一教会をめぐる問題で、民事事件での責任を認めた裁判をもとに宗教法人法の解散命令を請求できるかということが問題になっていました。
政府は当初刑事事件でなければ、解散命令請求の根拠とならないという見解を示していましたが、岸田総理は見解を改め、民事事件でも解散命令請求の根拠となりうるという見解を示しました。
この問題を巡っては様々なコメンテーターや法律家が見解を示していますので、今日はこの問題について書いてみたいと思います。
法の解釈は、純粋な論理だけから決まるわけではありませんが、今日は論理的な切り口から書きたいと思います。
まず、刑事上違法な行為であって、民事上違法性がないということは考えにくいです。
反対に民事上違法性はあるけれども、刑事責任は負わないということはありえます。
これは両方の違法性の関係が、民事法上の違法性の円の中に、刑事法上の違法性の円が含まれる関係にあるということになります。
言い方を換えると、数学で習った必要条件、十分条件という概念で説明できます。
刑事法上の違法性は、民事法上の違法性の十分条件ではあるけれども、必要条件ではないということです。
これを従来の、刑事事件であれば解散命令請求の根拠となるという見解に当てはめた場合、論理的には民事法上違法性がありかつ刑事法上も違法性のある行為を行った場合、刑事事件として解散命令請求を行いうるということになります。
そして当該行為は民事法上の違法性があることを前提にしていましたので、民事法上の違法性がある行為の一部も解散請求の根拠になりうる場合をもともと含んでいたということになります。
そのため、純粋に刑事法上の違法性ある行為でなければ解散命令請求の根拠にならないと言うためには、民事上の違法性があって刑事責任を負わない場合については、解散命令請求を行い得ない理由を積極的に示す必要があるということになります。
もともと刑事法上違法性のある行為の中に、民事上違法かつ刑事上違法である場合を含んでいるので、このような行為についてはどちらに転ぶこともあり得たわけです。
これを解散命令請求の根拠になるとしてしまうと宗教活動の自由の侵害、言い方を換えると宗教弾圧などと言われてしまうので、刑事事件でなければ解散請求の根拠とならないという取り扱いをしてきたわけです。
これが、旧統一教会に対する社会的な批判の高まりもあって、もともと民事上の違法性を含んでいたのだから、解散命令請求の根拠になりうるだろうと見解を改めたわけです。
この結果、民事法上違法でありかつ刑事法上も違法である場合について、解散命令請求できない理由は積極的に示さなくても良くなりましたが、今度は刑事法上違法ではないが、民事法上のみ違法である場合について解散命令請求の根拠になるという理由を示す必要性が出てきたのです。
これが論理中心に見た場合の今回の解釈変更の中身ということになります。
法的な解釈としてはどちらの解釈も成り立ちえます。