森友問題で自死した赤木さんの奥さんが、財務省の当時の理財局長だった佐川宣寿氏を訴えた裁判の判決が大阪地方裁判所でありました。

結論は請求が棄却され、赤木さんの奥さん側の敗訴ということになります。

少しわかりにくいので解説します。

もともと奥さん側は国に国家賠償を求め訴訟を提起していました。

この訴訟の中で佐川氏を尋問することで、事態の真相が明らかになる可能性がありました。

ところが、赤木ファイルの存在すら認めていなかった国が、突如請求を認諾し、裁判が終わってしまったのです。

つまり負けを認める事で、訴訟の審理を打ち切り、佐川氏への尋問の機会を無くしてしまったのです。

そこで奥さん側は、佐川氏の個人責任を追求しようと損害賠償を求めたのが今回の裁判です。

ここで注意が必要なのは、普通の裁判のように見えるかもしれませんが、公務員が職務上行った行為の場合、国民の側が、直接公務員の個人責任は追求できないのが通常の実務の取り扱いだということです。

今回の事件だけでなく、元々そういう取り扱いになっています。

判例があり、国家賠償で国の責任は追求できても、公務員の個人責任は追求できないということになっているのです。

これは個人責任を追求できるとすると、公務員が職務の執行を躊躇するおそれが出てくるからと言われています。

制度としては、まず国が国民に対して国家賠償として損害を賠償し、職務を行った公務員に故意または重過失がある場合には、国がその公務員に損害賠償を請求することがあるという仕組みになっています。

つまり国家賠償が行われた場合も、公務員の個人責任を追求するかどうかは国の裁量ということになっているのが現状です。

今回、奥さん側の弁護士も、当然このことは承知のうえで、佐川氏の個人責任を追及しようとしています。

判例の存在を承知のうえで、異なる判断を求めたのです。

しかし、公務員の個人責任の追及は認めないというこれまでの取り扱いを改めて繰り返したのが今回の判決です。

この判決がこれまでどおりの対応だとしても、今回の国の対応を見ると、やりきれない部分が残ります。

端的に、公文書を改ざんするように指示する(実際に佐川氏が行ったと言っているわけではありません)というのは、公務とはいえないとして、民法上の損害賠償責任を追求するという法律構成を認めても良い気がします。

さもなければ、会社法では、役員同士の馴れ合いにより、問題行為のあった役員への責任追及が期待できないことから、役員に代わって株主に株主代表訴訟という制度が認められています。

だとしたら、公務員の場合も、直接公務員の個人責任の追及を認めないのなら、国が公務員に損害賠償請求することが期待できない場合、特に今回のように国家賠償では国民の側が勝っている場合には、国民が国に代わって公務員に代位請求できるような制度を明文で認めてしかるべきだと思うのですが、どうでしょうか?