奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳で発見された銅鏡の破片を調査したところ、少なくとも銅鏡が103面以上あったことがわかりました。
橿原考古学研究所の研究チームの調査によると、古墳からは385点の破片が見つかり、分析したところ銅鏡103面以上の破片であることがわかったのです。
3世紀末頃の古墳ですので大和政権時代のものとなります。
古墳自体は前方後円墳です。
当時、銅鏡は貴重ですし、特別な意味があったものだと思いますので、これだけの数の副葬品が一緒に埋葬された人となると、埋葬された人は相当な権力者であったことが推測できます。
近い時代の古墳から出土している銅鏡の数から言っても、今回の発見は桁違いです。
銅鏡の中には、これまでも出土して話題になったことがある三角縁神獣鏡の破片も含まれています。
歴史上知られている権力者なのか、それともこれまで知られていなかった人が埋葬されているのかも興味深いところです。
石室なども、古墳時代に作られたものとは思えないくらい、きれいに石が積まれています。
桜井茶臼山古墳は、他の古墳群から少し離れた場所にあるため、造られた場所にも特別な意味がありそうです。
この時代のものとして出土した形象埴輪なども、前の時代の土器とは一線を画するリアリティがあるので、資料は少ないものの、思っているよりも文化的な生活をしていたのかもしれません。
国内の文献資料がほとんどない時代のものですので、想像は広がります。