東北新社社員による総務官僚の接待問題で放送業界への総務官僚の影響力の強さがクローズアップされています。

これは放送業の許認可への総務大臣や総務官僚の裁量が大きいことから起こっている問題でもあります。

放送が始まって依頼、電波の有限性から、放送業界への参入は大きな既得権益となっていきました。

石油と同じく限られた資源には付加価値が伴います。

今でこそメディアはインターネット動画により、手段は放送に限られなくなってきていますが、未だにTVCMの訴求力には絶大なものがあります。

中立性確保のためこのCMを放送しないNHKは国営放送と言われることがありますが、国営だと政府による放送内容への干渉が大きくなりすぎるため形式的には国営放送ではありません。

こう書くと放送業界には民主的な体制が確保されているように聞こえるかもしれませんが、先程書いたように免許の付与権限を総務大臣が握っているので結局接待問題などが起こってしまうのです。

実際この問題を報道するメディアの中にも自らの総務官僚との交流について歯切れの悪い発言をする人も現れています。

報道の自由と言っても政府に忖度した内容でなければ事業が行いにくいというのでは絵に描いた餅になります。

かと言って政治家に対する批判的な報道が政治家を怒らせるほど加熱するという側面もあります。

今でこそ「NHK受信料を支払わない方法を教える党」に党名を変更しましたがN国党が存在するのも受信料だけの問題だけでなく、放送業界の既得権益よって引き起こされる様々な問題に国民が気づき始めているということかもしれません。

ただここで注意しなければならないのは今回の問題は報道の自由の確保のための接待と言うよりも既得権に与るための接待なのではないかということです。

報道の自由は政府の干渉だけでなく自らの既得権益からも脅かされるという副作用の強い薬のような存在なのかもしれません。

報道の自由を最も体現するのは見ない自由や聞かない自由ということになってしまうのでしょうか。