安倍元首相の銃撃という事件の背景に統一教会との関係が取り出たされていることから、宗教に対する批判的な目が向けれれています。

宗教というよりも、実際は宗教団体とは思えない活動に対する批判といった方が良いのかもしれません。

新興宗教の中には宗教が目的なのかどうかも怪しい団体も存在します。

しかし、歴史に耐え、法的にも保護するに値する宗教もあります。

私は、宗教には、人々の迷える精神を導く灯台のような役割を果たしてほしいと思っています。

今日は、そのような役割が期待できる教えについて書きます。

最近少し気になっているのは、武器で相手を倒すバトルロワイヤル系のゲームの存在です。

野蛮だと、道徳的なことを言いたいわけではありません。

プレイヤーの中にはゲームの世界なので現実とは関係ないという人もいると思います。

私にはそうは思えないのです。

自分でも少しやったことがあるのですが、現在は3Dの立体のゲームで、画像がリアルであることもあり、影響は単なるゲームの中だけで済まないような気がするのです。

猫や鳩など身近な動物への虐待が行われると、人間への加害へつながる懸念があることが知られています。

ゲームとはいえ、人を殺傷するゲームを不用意に続けていると、他者加害や自己加害へつながる懸念を感じます。

もちろん、この手のゲームをしている人全てが、何らかの加害行為をするのではないかと心配しているわけではありません。

この私の懸念に対して、世界の三大宗教の一つである仏教は、不殺生を唱えています。

これを道徳的なものとしてだけでなく、合理性を有するものとして考えれば、ゲームの世界とはいえ不用意に相手を倒す戦闘を続けることには一定のリスクがあると考えられます。

よく知られた教えを頭の片隅においてゲームをするだけでも、他者加害や自己加害が減るのではないかと思います。

時代に耐えた教えをあなどってはいけません。

新興宗教の危うさを批判するだけでなく、時代に耐えた宗教の教えに学ぶというのは、信者でなくても何ら問題はないはずです。