弥生時代を代表する遺跡といえば登呂遺跡です。

そう教わった世代です。

ところが、今の教科書で、登呂遺跡を記述しているのは1社だけなのだそうです。

ネットでそんな記事を見かけ、教わった時代が誤っていたのかと思って調べてみると、登呂遺跡が弥生時代であることに変わりありません。

ただ、弥生時代を代表する遺跡としては、吉野ケ里史跡がメジャーになり、そちらが記述の中心になっているようなのです。

確かに、吉野ヶ里は邪馬台国とのつながりも否定しきれないため、注目はされやすいと思います。

登呂遺跡は静岡県なので、関東ではありませんが、関東の人間にとっては、岩宿遺跡、大森貝塚と並んで、登呂遺跡が頭に浮かぶ人も多いのではないでしょうか。

時代区分が、弥生時代後期から古墳時代にかかっているということも、取り上げられなくなっている理由かもしれません。

日本史の中で、複数の遺跡を記述するほど紙面を割く箇所でもないということもあるかもしれません。

同時代の遺跡が全国に点在しているなら、点在していると記述をすることも必要な気がします。

紙の教科書で紙面が割けないなら、ネットの動画などで同時代の遺跡を複数まとめるというのも1つの手なのかもしれません。

遺跡に限らず、小中学校の内容でも、自分が教わった頃と内容が変わっていたりします。

時代区分が少しズレたり、武将の肖像画が間違っていた事がわかったりして、削除または名称が変更されていたりしています。

子供がいる人は、子供が使用している教科書を読む機会があるかも知れませんが、子供がいない人も、新しい教科書を読み直してみるのも良いかも知れません。