日産自動車の元会長カルロス・ゴーン氏の逮捕や勾留が不当だという意見書が国連の作業部会から出てしまいました。

日本の刑事司法制度や意見書の意義について解説してみたいと思います。

まず日本の刑事司法制度ですが第二次世界大戦前の明治の頃はフランス法に基づいて制定された法律でした。

陪審制も検討されましたが明治政府の政策に反対して逮捕された者が無罪になってしまう可能性が高いことから見送られました。

このことから明治維新が民主主義の勝利というよりも封建制の崩壊という性質があったことが伺えます。

その後ドイツ法をベースにした刑事訴訟法に改正され我が国でも大正デモクラシーを背景として陪審制が採用されていないのは文明国の体面に関わるとして陪審制が採用されるようになりました。

この頃日本でも一時陪審制(現在の陪審員制度とは異なります)が行われていました。

その後戦火の拡大や陪審制度が我が国の風土になじまなかったこともあり陪審法は停止されました。

戦前の刑事司法制度はフランス・ドイツといった大陸法の職権主義的な色彩の強い刑事司法制度でした。

それが戦後日本国憲法に変わり、アメリカ(U.S.A)法の影響もあり人権の尊重が強調されたため現行法では当事者主義も大分考慮される内容になっています。

強制捜査について法定主義が取られ令状主義も定められているため、捜査機関は慎重に捜査することが求められています。

捜査の開始や手段について制限が設けられているため、かえって今回のように逮捕回数が増えたり勾留期間が伸びたりという問題が出てきてしまっているのです。

一方現行法で参考にされたアメリカでは日本よりも比較的ゆるく捜査が開始されます。

その分捜査による人権侵害は厳しく排除されることになっています。

事件が存在すれば捜査の必要性は法制度によらず出てくるということを前提に日米の刑事司法制度の状況を整理すると

(日本)捜査の手段や開始が厳しく制限される→捜査のために逮捕回数が増えたり勾留期間を延長するという運用が出てきてしまう

(アメリカ)捜査の開始は比較的ゆるい→捜査による人権制限は厳しく排除

国連=アメリカではありませんが、外国から見ると随分おかしな運用をしていると映ってしまうわけです。

今回の国連の作業部会の意見書も決してゴーン氏が無実だと言っているのではなく、このような見地から問題点を指摘しているわけです。

ただし人権侵害に厳しいアメリカも上手く運用できているというわけでもありません。

アメリカでは捜査による人権制限が厳しく排除されるため、真実究明のために司法取引などが認められています。

そのため犯罪を犯していないのに罪を認めて重い刑罰を受けないようにするという運用も出てきてしまっているのです。

決して日本の司法が捜査機関に対して緩いというわけではなく、むしろ厳しいから起こっている問題と言えます。

現行法でも特定の事件での捜査のために別件で逮捕したり勾留延長をすることは無条件に認められているわけではありません。

捜査機関を縛りすぎているために出てきてしまっている運用の問題と言えるでしょう。

もう少し緩やかに捜査を開始するなりして運用面での人権侵害を規制する方向への法改正が必要なのかもしれません。