一昨日このブログの記事で、映画「宮本から君へ」の出演者が麻薬取締法違反で逮捕されたことをきっかけに、この作品について内定していた助成金を不交付にする決定の取り消しを求めた裁判の第2審判決があったことを書きました。

第1審は原告であった映画制作会社側の勝訴。

第2審は原審の被告側である文化庁所管の独立行政法人日本芸術文化振興会の勝訴となりました。

主な争点は不交付を決めた理由である「公益性」についての判断と言って良いと思います。

第1審である東京地方裁判所は「公益性」という理由は多義的で抽象的過ぎるとして不交付にする理由にはならないという判断をしました。

これに対して第2審である東京高等裁判所は「公益性」について薬物の乱用を防止するという公益性を理由に不交付を決めても社会通念上、妥当性を欠いているとは言えないとしています。

第1審よりも公益性の内容を具体的なものとして捉え、多義的で抽象的ではないということを示唆し、第1審の判決を覆しました。

以前書いた記事の中では「公益性」という理由をどちらに解釈するかは、法解釈としては両方ありうるということを書きました。

ただ個人的には五分五分というよりは、東京地方裁判所の結論に賛成したいのです。

その理由を以下に書きます。

まず、給付に係る決定については、行政機関の側に一定の裁量が認められています。

行政機関の裁量ということは、権限があることを行っているわけですから、司法権である裁判所が踏み込んで判断しにくい部分であるということを意味します。

行政機関の裁量権の行使について違法性があるかどうかの司法審査については、処分内容を審査する実体審査や処分を決めた手続きを審査する手続き審査などがありますが、不交付の決定という処分の内容についても手続きについても、明らかな法令違反があるようには見えないため、判断過程審査を行うのが妥当ではないかと思います。

この判断過程審査では考慮すべきことを考慮せず、考慮すべきでないことを考慮していないかにより裁量権行使の違法性を判断します。

仮に判断過程を審査したとして、今回の判断過程において「公益性」を考慮し助成金を不交付にする合理性がどれだけあるか疑問なのです。

まず東京高等裁判所が判決理由として、薬物の乱用を防止するという公益性を挙げていますが、それ自体はもっともな感じがします。

ただ、助成金を不交付にして実現するような目的であるのかという疑問がわきます。

薬物乱用は防止した方が良いのですが、芸術作品に対する助成金の交付についての判断で考慮しなければならないことではないのではないかと思うのです。

更に、今回麻薬取締法違反で逮捕されたのは作品の出演者であって、助成金の申請者ではありません。

確かに、逮捕者が出た作品に公金を支出してほしくないという意見はあるとは思いますが、支出された助成金で薬物が買われたわけではありません。

お金の支出については、それを不当だと感じる人が別の訴訟で争えばよいのではないかと思うのです。

そう考えると、「公益性」の内容を薬物の乱用防止と捉えると社会的に妥当性があるかもしれませんが、助成金の交付決定の際に考慮すべき事実かどうかも疑問ですし、考慮するとしても、助成金を不交付にしてどれだけ薬物の乱用が防止できるのかも疑問なのです。

一見、納得しがちな理由なのですが、詳細に検討すると納得できない点が出てきます。

そのため判断過程で考慮すべきだと私が思う事実を基に考えると、東京地方裁判所のように公益性では理由にならないという判断の方が共感できるのです。