三重県桑名市にある多度大社で行われる上げ馬神事について、斜面の頂上の土壁を撤去した上で5月4日、5日に開催されることが発表されました。

上げ馬神事は、土壁を馬が乗り越えた回数で農作物の豊凶を占うものです。

しかし、昨年5月に行われた神事では、馬1頭が斜面で転倒して骨折し、殺処分されていました。

三重県の馬術連盟の理事長も、馬術のトレーニングを積んだ馬でも難しい高さだったと指摘し、撤去の必要性が提言されていました。

これを受けて、大社と氏子でつくる御厨総代会が土壁の撤去を決めたものです。

以前も少しこのブログの記事で書きましたが、この問題は難しい問題を含んでいます。

昨今の、博愛主義が動物にまで及ぶようになってきている傾向や、直接、動物福祉ということを強調すれば、動物虐待と捉えることもできます。

しかし、神事や祭りというのは、元々人間の命さえ犠牲になることもあるものです。

大切なものを犠牲にしてでも神事や祭りが行われるという側面もあるわけです。

このような伝統や神事に対して、現代では、科学的知見の向上に基づいて、疑問が呈されることになります。

五穀豊穣や地域の安全と馬が土壁を乗り越えることに科学的な因果関係が認められないではないかという意見です。

ただ、科学的に見て上げ馬神事が全く無駄かというと、そうとも言い切れません。

無理と思える土壁を乗り越えられなかった馬は命を落とし、乗り越えた馬が生き残る。

これを繰り返すことで、身体能力の高い馬の遺伝子が残る可能性が出てきます。

正に神馬の登場です。

一方で、動物虐待は動物にとって良くないだけでなく、人間への加害に繋がる可能性もあります。

他方で、神事や祭りでの犠牲は喪失という原体験と再生という生きる力に繋がるものでもあるわけです。

これらを失うだけでなく、世の中に神馬が登場する機会を失うことにもなるのです。

1000年続いた岩手県の蘇民祭は、後継不足や風習を守る難しさから終了することになってしまいました。

毒が遠ざけられる結果、様々な耐性が失われていく気がします。